ポルポトの墓

アンロンベン北部16km地点にポルポトの遺体が焼かれ埋葬された。錆びたトタン屋根で覆われた野ざらしの墓に70年代半ば100万人以上の自国民を虐殺した男が眠っている。

注:CIAの調査によれば、ポル・ポトが書記長を務めたクメールルージュによって銃器、その他の兵器で殺害された非戦闘員は5~10万人と推測されている。
その他の死因の多くは、クメール・ルージュ直前のアメリカの空爆(日本の半分の国土面積に対し、第二次世界大戦時の日本への空爆の3倍の爆弾が投下され、数十万人の農民が犠牲となった)に起因する農業インフラの壊滅による餓死。アメリカは爆撃後に都市部で食糧支援を開始したが、クメール・ルージュによってカンボジアが共産国家となるとこれを打ち切った。
現在では輸出相手国の50%以上がアメリカとなっていることと、内戦時にアメリカが多くの難民を受け入れたことに対し、非現実的な原始共産主義を掲げて虐殺を繰り返したとはいえ、農業インフラの復興を試みたクメール・ルージュの姿勢のこと、そもそもクメール・ルージュが勢力を伸ばした背景には、アメリカによる無差別爆撃と、アメリカが支持したロン・ノル政権がシハヌーク王を国外追放にしたうえに腐敗した政治を執り行っていたことに対し、国民の反発があったことがあり、簡単には割り切れる話ではなく、当時のことを話題にあげることは一種のタブーとなっている。

ポルポトの墓” への1件のフィードバック

  1. ポルポトは失脚するでなし、1998年まで生きていて、粗末な御墓が今も山の中にあるようです。御墓の写真はこちら http://t.co/v4Tfhi80